勉強しない子供からゲームを奪う
記事のタイトルを読んで懐かしい気持ちになった人がいるのではないだろうか。
私もやられた記憶がある。
親が外出してから帰ってくるまでの間ずっとゲームに勤しんでいたら「あんた!どんだけゲームしよっと!ダメて言うたやろ!」と言う怒りとともにゲームボーイを隠されたのは忘れられない。
ゲームを隠した結果、子供は勉強するのか
するわけない。では何をするのか
親が居ない時にゲームを探すのだ。家の隅々まで。
普段なら勝手に絶対に開けないであろう食料庫や親のタンスも開けるし、届かない高い場所も椅子を使って開ける。
これも完全にゲーム感覚である。
親の妄想通りに「親も居ないし、ゲームもないし勉強するか!」とはならないのである。
住んでいる家でも普段開けない場所を開けるのは楽しく、どんどん探索が進む。
そして子供の私はゲームを見つけ、今度は私がゲームを隠して、親が居ない時に忍んでゲームをするようになった。
テストでいい点を取ったら返す
意味はない。
いい点を取る→ゲームを返す→ゲームをする
それで最初に戻ってしまうだけだ。
都合よく勉強をするようになったとしても、それは親の力ではなく子供が自ら勉強の楽しさを見つけただけだ。結果が良ければ全て良しでは無い。
どうすれば良かったのか
そもそも親の目的は「子供にゲームをさせない」ではなく、「子供に勉強をさせる」である。
また、子供の行動理念は「ゲームをしたい」ではなく、「楽しいことをやりたい」と仮定する。
こう整理すると答えはとても簡単で、「勉強をゲームより楽しいことにする」で解決する。
そんな方法あるわけない
それが出来ないから皆困っていて長年課題に上がっている。
だからと言って、「ゲームを隠す」という解決しない手段を使う理由にはならない。
手段を検討せずに安直な考えで行動を取るのはやめて欲しい。
「ゲームがなぜ楽しいか」
そこに答えは転がっているんじゃないか。
M球を初めて触った
軟式野球のボールが変わる。
中学野球で使われていたB球と高校以上で使われていたA球が統一されM球となる。
YouTubeではM球を使用した感想動画が上がり、それを鼻をほじりつつ「まっ3部レベルで下位打線を打つおじさん野球民には大して関係ない話やな」と斜に構え見ていた。
そして、新年初練習。
人生で初めてM球を使う機会がきた。そこで3部下位打線レベルの感想を僭越ながら述べさせていただこうと思う。
ランニング編
特に変化はない。今から初めての相手と触れ合うというのに、変わらずグラウンド3周で息切れをかます。
キャッチボール編
硬い・重い・痛い
ボールをに受けた感想は硬い、重い、痛いだった。
硬くなったのは練習前に握った感触で明らかだった。
そして2グラムの重さの差でだいぶ重く感じた、普段はスーパーで豚肉の2グラム差なんて気にもしないのに。
まぁボールを受けた時に衝撃が緩和されなくなり、それが受けた時の重さに繋がったのだと思う。
そして痛い。何よりも痛い。デッドボールはマジで無理。
指がかかる
投げた時の感想は、どんな縫い目でもかかりやすくなったなってところ。
A球の時は、内野ノック時に発生するクソ縫い目ガチャに悩まされる事が多かったが、M球はそれが減った気がする。
「そもそも握り変えをしないお前が悪い」と正論原爆を投下された日には、枕がスポンジ並の水を吸っている事だろう。
内野守備編
跳ねない、早い
やはり硬さのためかA球よりも明らかに跳ねない。割合で述べると近所のスーパーへ8時ぐらいに行ったときの寿司の割引率ぐらいだ。
跳ねない事に影響してか、球足も早く感じる。正直、誤差レベルかも知れないが。
通常捕球とショートバウンド捕球はA球のと変わらなかった。
ただ、跳ね上がり際の処理感覚が変わった。慣れるまでは意識して低く構える必要がありそうだ。
ワンバウンド送球
やはり跳ねない。そしてボールの引っ掛かりと相まってゴミ送球を連発。
高さ調整が明らかに難しくなっている。
慣れないうちはノーバン送球を基本に据えた方が良いかも知れない。
そのため今後、弱肩の私がサードを守ることは無くなるかも知れない。
外野守備編
フライ捕球
無理
本当に無理。全然違う。伸びる。正面のフライも取れる気がしなかった。
「フライの目測取れるんでw外野も守れます(キリッ」と金輪際言えなくなった。
河川敷での練習だったため、風に流されていたと信じたい。
ゴロ捕球
打球の勢いが死ににくくなっているため、球足が早い状態でくる。
そうは言っても、外野フライほど恐れることは無かった。
いつも通りバウンドを合わせる事とグローブを立てて捕球することに意識を置けばいい。
総括
サードのサブポジションがなくなった!
外野のサブポジションがなくなった!
ソシャゲに縛られる生活は嫌だ
そんな理由でブログを書くことにした。
1時間30分の通勤時間をニュース閲覧だけでは潰せないからだ。
前はソシャゲをシコシコやっていたが、いい加減に時間と金を搾取され続けるソシャゲに嫌気がさしてきた。
現代のソシャゲは話のネタになるコミュニケーションツールの一面も持つので手放すのは非常に惜しい。
しかし、ストレス負荷の高い現場で働いるとソシャゲ内での理想のパーティが組めない等の些細なストレスが予想以上に効いてくる。
そして些細なストレスに耐えきれず目的のキャラが欲しくてびっくりするくらいの課金をしてしまう。
もう嫌だ。
ソシャゲはお金の力でストレスの根本の原因が取り除ける悪魔のツールだ。
もう辞める。
口ではそうは言っても、僕のスマートフォンにはゲームが残っている。
僕は数十万単位で育てたゲームのデータを消すことが出来ない。
僕はツイッターのアカウントを消すことが出来ない。
僕は今の仕事を辞めることが出来ない。
僕は裸足で庭を歩くことが出来ない。
いつになったら、この一歩を踏み出せるようになるのかな。